六月の、汗が引かない昼下がりから
その日は最寄り駅から歩いた。六月半ばの木曜で、朝から蒸していて、駅を出た時点でもうシャツが背中に貼りついていた。吉原まで歩ける距離に店があるというのは、雨の日には利点で、蒸す日には欠点でしかない。
歩きながら気づいたんだけど、前髪が完全に伸びきっていた。散髪の予約を入れようと思って三週間ほど放置していたのを、よりによってこのタイミングで思い出した。汗で額に貼りついた前髪をかき上げながら店に向かう三十代というのは、あまり誇れる図ではないんだよね。
まあ、そういう日だった。
行き先はセグレターリオ。会うのはまゆさん。三回目以上になるので、今回も事前に希望を伝えてから予約を確認してもらった。この段取りを踏んでおくと当日の立ち上がりが段違いになる。ちなみにこの店、連絡のやり取り自体はかなり事務的で、そこは可もなく不可もなくといったところ。設備の綺麗さとロビーの管理で勝負している店だと思っている。
階段の三段目に立っていた人
着いてロビーに入った瞬間、ひやり、と汗が一気に冷えた。冷房が相当効いている。外との落差が十度くらいあったんじゃないかというレベルで、汗が引いたのを通り越して普通に寒かった。トイレは綺麗だったし、スタッフの応対も落ち着いていて良かったんだけど、あの温度設定だけは次回タオルを一枚持っていこうと思わせるものがあった。
案内されて階段のほうへ。きし、と木が鳴る音がして顔を上げると、三段目のあたりに立っていた。
お願いしておいた衣装を、ちゃんと着てくれていた。
小さいのに、圧の掛け方を知っている
158cmで、顔も小さい。似ている芸能人を挙げてくれと言われても正直出てこないタイプで、写真とそのままの人という言い方がいちばん近い。守ってあげたくなる方向の見た目なんだよね、単純に並べると。
ところが実際に階段の上から見下ろされると、印象がまるで違う。
これは技術の話になるんだけど、圧というのは体格で決まるものじゃない。視線の高さと、距離の詰め方と、間の取り方で作れる。この人はその三つを全部わかっていて、階段という高低差のある場所をきっちり使ってくる。近況報告をしながら部屋へ向かう短い時間で、こちらの主導権はもう半分明け渡されていた。
おいおい、まだ廊下だぞ、と。
もう少し具体的に書くと、この人は返事の速度を一定にしない。すぐ返してくる問いと、一拍置いてから返してくる問いがある。その一拍が置かれた瞬間に、こちらは無意識に次の言葉を探しにいく。探しにいっている間は、相手の側に主導権がある。廊下を歩く三十秒でこれをやられている。
ドアが閉まってからの十五分
入室してからは、間髪を入れずに始まった。
この日は「時間をかけて、じっくり濃厚に」というプランでお願いしてあった。手順を細かく組んで、溜めるところは溜めて、という設計だ。三回目以上になると、こういう注文にも付き合ってもらえるようになる。
で、その設計が十五分ももたなかった。
詳細は書けないけれど、原因ははっきりしている。手でも舌でもなく、言葉だった。挑発的な言い回しを、こちらの反応を見ながら的確な間隔で挟んでくる。具体的に言うと、こっちが一段上がった直後の、いちばん判断力が落ちているタイミングを狙って落としてくる。あれは狙ってやっている。
まいったな、というのが正直な感想だ。プランを立てた自分がプランを壊した。
この人のことを技術で語ろうとすると、いつも手の使い方や動きの話に落としてしまうんだけど、今回に限っては言葉のほうが本体だった。五感で攻めるという表現があるじゃない。あれを本当にやる人は少ない。だいたいは触覚と視覚で止まる。
120分、短縮なし。最後の余った時間までいちゃついて終わった。
帰りも歩いた。前髪はもう乾いていた。