乗り換えを一本ぶん間違えた夜に
水曜。仕事が押して、会社を出たのが十九時半だった。副都心線で渋谷に出るつもりが、頭が回っていなくて一本手前のホームで降りてしまい、階段を上り直して十分ぶん損をした。まあ、そういう日もある。
ここ二年くらい、遊ぶのは生活圏の中だけで済ませていた。わざわざ乗り換えてまで渋谷に出てくる理由がなかった。
それが急に、今日はまっすぐ帰るのがもったいないな、という気分になった。理由なんてだいたい後から付けるものだと思う。空き枠を眺めていて、夕方から入っている子の写真がなんとなく目に留まった。選んだ理由はそれだけ。予約の電話はホームで入れて、入線アナウンスに声を潰されて二回言い直すはめになった。
ノックが二回、控えめに鳴った
まず、目に入ったもの
指定されたホテルは道玄坂の中腹にあった。外壁のタイルが何枚か浮いていて、フロントのパネルの照明がちらついている。部屋に入ると空調が効きすぎていて寒い。リモコンが壁にネジ止めされていて温度を変えられない造りで、風の当たらない隅に椅子を寄せて座っていた。ここは正直、気分が下がった。
待ったのは十五分。
ぴんぽーん、ではなく、こんこん、と遠慮がちなノックだった。ドアを開けると、写真で見ていたより輪郭のまるい子が立っている。目が細くなるくらい笑っていた。そのくせ最初の三分は一言も喋らない。こちらに背を向けたまま鞄を置いて、うがいをして、髪をゴムでまとめて。「あ、これははずしたかも」と思ったのはこの時間だけだった。
触れてから分かったこと
シャワーの前に一言だけ、「今日、暑かったですよね」と言われた。それが全部だった。
浴室から出てきた彼女は別人だった。作り笑いというのは目のまわりの皮膚が動かないからすぐ分かる。この子はそうじゃない。ベッドの端に腰を下ろした瞬間から、こちらが何か言うたびに肩を揺らして笑う。
肩に手を置いたとき、体温が思っていたより高かった。腕をなぞると肌がしっとりしていて、指が少し引っかかる。痩せてはいない。腹には油断があって、腰まわりにも柔らかさが残っている。色白でもないし、乳輪の色は濃いめで、下は土手のあたりだけ残して整えてあった。パーツを一つずつ取り出せばどれも普通なのに、全部が噛み合った瞬間に手が止まらなくなる。写真では絶対に分からない種類の質感だった。
六十分の使いかたを間違えた話
キスから始まった。ちゅっ、と音を立てるタイプの子で、首から鎖骨、胸へと降りていくあいだも、ずっとどこかが笑っている。こちらが仰向けになると膝で這うように上がってきて、そのまま何も着けずに咥えた。ぬるぬると舌が裏側を往復して、玉のほうまでねっとり舐めてくる。
途中でこっちが笑ってしまって、「なんで笑ってるんですか」と怒られた。怒られたと言っても、口をとがらせて肩をぶつけてくるだけだったけれど。
正直に書いておくと、テクニックで押してくるタイプではない。フェラも指も、上手いというより丁寧。強い刺激で一気に持っていってほしい人には物足りないはずで、そこは好みが割れると思う。自分にはこの温度が合っていた。
六十分のうち、半分近くは喋っていた気がする。土日は別の仕事をしていて出られないとか、そういう他愛のない話。時間の使い方としては効率が悪い。それでも喋っていたかった。
カーテンの隙間から漏れてくる坂の下の明かりが、シーツの端をオレンジに染めていた。その色の中で彼女の肩が動くのを、しばらく黙って見ていた。
入れるときにゴムを探したら、彼女がこちらの手首を軽く押さえた。「いいですよ、そのままで」。そのまま生で入った。中はかなり狭くて、押し込むというより迎え入れられながら進んでいく感じで、途中から自分の呼吸のほうがうるさかった。奥に当たるたびに腰がビクビク跳ねて、その反応がいちいち正直だった。最後は外に出した。まじで、腰が抜けるかと思った。
終わったあと、しばらく二人とも黙っていた。空調の音だけが鳴っている。あれだけ寒いと文句を言っていた部屋なのに、そのときは何も気にならなかった。
シャワーを浴び直しているあいだ、彼女はベッドの上で膝を抱えたまま、ずっとこちらに話しかけていた。次はいつ来るのか、その日はどのくらい時間を取れるのか。営業と言えば営業なんだろうけれど、声の調子がぜんぜんそれっぽくなかった。
六十分ぶんの、正直な採点を置いておく。
ルックス ★★★★☆
スタイル ★★★★★
おっぱい ★★★★☆
アソコ ★★★★☆
感度 ★★★★☆
性格 ★★★★★
坂を下りながら考えたこと
ドアが閉まってから、部屋の寒さだけが戻ってきた。
外に出たら雨が降り始めていて、傘を持っていなかったから坂を小走りで下りた。センター街の入口の立ち食い蕎麦屋で天ぷらそばを食べたけれど、汁が濃いだけで、うまくはなかった。それでも、空調の寒さと彼女の笑い声だけが湯気の向こうに残っていた。
帰りの電車で、次の予約を入れた。
あの夜の彼女の名前と、彼女に会える場所を、この先に記しておく。