雨の木曜に、きみへ
これは、きみに宛てた手紙のつもりで書いている。
返事はいらない。九月の終わりの木曜、曙町で会った一時間半のことを、忘れないうちに書き留めておきたかっただけだ。きみはもう覚えていないだろう。それでいいと思っている。覚えているのがこちらだけ、というのも、この種の夜の正しい形なのかもしれないから。
エマニエルの扉を押した夜
仕事帰りだった。
関内の駅を出たら雨が細く降りはじめていて、傘を持っていなかったから、伊勢佐木町のほうへ徒歩で抜けるあいだに肩がじっとりと濡れた。街灯の下だけ雨粒が白く見えて、それ以外の場所では音しかしなかった。
そういえば、あの通りのラーメン屋の前にはいつも行列がある。あの夜も三人ほどが軒先に身を寄せて並んでいて、湯気と雨の混ざった匂いが歩道まで流れていた。腹は減っていた。それでも並ばなかった。先に済ませておきたい用事があったからだ。
曙町の角を曲がる。
ネオンの色が濡れたアスファルトに滲んで、赤と紫が靴の先でゆらいでいた。人通りは少なく、客引きの声も雨に負けて遠かった。
【横浜曙町】エマニエルは、曙町四丁目のビルの一階にある。奥様と呼ばれる大人の女性たちが在籍していて、夜這いを模したコースがあることで知られた店だ。扉を押すと、受付は思っていたより明るく、床も壁もきちんと掃除されていた。トイレまで磨かれていて、手を拭くためのおしぼりが用意してある。こういう小さなところに、店の性格はいちばん正直に出ると思う。受付で渡されたコース表には、ふつうに部屋で迎えてもらう形と、眠っている奥様の部屋にそっと入っていく形が並んでいて、どちらにするかをその場で決める。迷っている客が多いのか、説明は慣れた口調だった。初めてなら入会の手続きが一枚あるだけで、身構えるようなことは何もない。
内勤の男性はきびきびしていて、コースの違いを尋ねたら、要点だけを短く返してくれた。愛想笑いが多すぎないのも、かえって居心地がいい。
ただ、待合は少し狭い。
濡れた上着の置き場に困って、膝の上で抱えたまま名前を呼ばれるのを待った。雨の日にはそこだけが惜しい。
案内されて、きみの前に立った。
最初に目に入ったのは笑顔だった。うっすら日に焼けた肌、爪の先まで色を揃えたネイル、明るく抜いた髪。十年前にどこかの街で夜を回していたギャルが、そのまま大人になったような顔立ちをしていた。近づくと、甘くて柔らかい香りがした。雨の匂いを連れてきた自分が、少し申し訳なくなるくらいに。
「来てくれてありがとう。まじで緊張してる」
きみはそう言って笑った。前はキャバクラにいたのだと後で聞いて、あの人懐っこさにも合点がいく。なのに指先はほんの少し震えていて、そこだけが、この世界に来てまだ日の浅い人のものだった。
きみを書き留める六つの目盛り
ルックス:★★★★★
スタイル:★★★★★
おっぱい:★★★★☆
アソコ:★★★★☆
感度:★★★★★
性格:★★★★★
腰は驚くほど細い。脚もまっすぐで、ヒールを脱いでもすらりとしていた。胸は大きくはないけれど形がきれいで、細い体にちょうど釣り合っている。数字で書けばそれだけのことが、目の前にあると言葉を失わせる。
肩に触れた指の先で
部屋の灯りは低く絞られていた。カーテン越しに曙町の看板の光が差し込んで、白いシーツをぼんやりとオレンジに染めていた。
きみは煙草を吸う人だった。始める前に一本だけ、と小さく断ってから窓際で火をつけ、煙を細く吐いた。その横顔を眺めながら、ガラスを打つ雨の音を聞いていた。急かす気にはならなかった。
肩に手を置いた。それだけで、きみの体がビクンと跳ねた。
「ごめん、触られるの弱くて」
そう言った声が、さっきより一段低かった。自分のことをマイペースで人見知りだと言っていたきみが、そこから先でどんな顔になったのか。どこに触れたら息が変わったのか。細い体のどこに、あれほどの熱を隠していたのだろう。
その続きは、限定公開の頁に書いておく。読む人を選ぶ話だから、ここでは扉の前で立ち止まっておきたい。
ペンを置く場所
正直に書くと、帰り道で少し焦った。
時間はちゃんと足りていたはずなのに、九十分を短いと感じたのは久しぶりだったからだ。駅前のコンビニで缶コーヒーを買い、軒下で雨宿りをしながら飲んだ。甘すぎて、半分残した。
電車の窓に映った自分の顔が、来たときより少しだけ緩んでいた。きみに見られなくてよかったと思う。